群島政府時代だけに限らず、沖縄県下の宮古・八重山地域は、戦災の状況や地理的な事情にもより、沖縄本島とは、異なる文化的脈絡をもつ。その個別的な側面もすべて総合して戦後沖縄の教育実践・教育文化の展開の適切な描写になるであろう。この立場から、1953年12月復帰した奄美群島地域も、戦後直後の沖縄の実態を語る必要な部分である。本件研究が対象にしている範囲を地域的に区分して言えば、次のようになる。すなわち、沖縄本島とその周辺、八重山地域、宮古地域、それから(復帰までの)奄美群島地域である。 3年計画の1年目として、以下のとおり研究を進めることができた。 1.八重山地域の教育実践資試料の収集を行った。資料の内容は、学校沿革誌による研究授業などの記録と校内研究会などにおける資料である。この調査では、これまで聞き取り、あるいは、伝聞としてよくしられてはいたが、具体的な裏づけ資料が明確でなかった本土からの送付教科書について、一部ではあるが教科書の受け取りリストを「発掘」できた。 2.奄美群島地域において、教育実践資料の収集を行った。この調査では、戦後直後の、教育振興に向けた動き出した、その時の教育実践を具体的に語る「手作り教科書」やガリ刷りの「指導案」などの教育実践資料を「発掘」できた。 3.これらの収集資料のデータベース化のために、文献整理ソフトを利用して、コンピュータへのデータ入力を行った。 4.聞き取り調査や資料の新たな「発掘」のための計画も立てられた。
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