本研究では以下の成果を挙げることができた。 (1)ミシェル・フーコーの-『監獄の誕生』の規律権力や後期著作の「生の権力」の分析を多面的な観点から批判的に再検討し、近代の集団管理のテクノロジーの分析、社会集団における身体の社会史的な分析などの哲学的意義をさぐることによって、遠隔通信技術に基づいた現代のメディア・情報社会の考察のためのフーコーの権力論の有効性が確認された。その成果は「分身の系譜学と権力のテクノロジー--フーコー『監獄の誕生』の哲学的意義」という論文にまとめられた。 (2)この成果をさらに哲学的・思想史的な観点から掘り下げるため、メルロ=ポンティの「自然」の概念についての講義を再検討し、社会制度や技術社会の表層的な在り方だけではなく、自然や生命の次元にまで溯ってその深い成立基盤を考察することができた。同時に、機械論と生気論という伝統的な対立概念を乗り越える必要性が確認された。その成果は「自然と制度」という論文にまとめられた。 (3)近代における「人間機械論」の系譜を探るため、フランス及び日本における自動機械や人形(とりわけ文楽)の文化的意義を系譜学的に探り、それを思想史的に位置づけることによって、メディアとしての機械や人形の意味を整理することができた。その成果は《Le Bunraku ou l'idiotie du corps》というフランス語論文にまとめられた。 (4)上記研究においては、CD-ROMやOCR、文書処理ソフトウェアなどを有効に活用し、語彙の系譜などを分析することによって、メディア・情報社会を論じるのにふさわしい概念装置の摘出をすることができた。
|