画像に向けられた言語に残る痕跡としての情動がオリジナルな状態の復元へと遡及していくのではなく、新たな言語やまったく別の作品を産んでいくこと、これを秋庭は「情動サイクル」と呼んでいた。この情動サイクルの電子メディア上での変容を考察するにあたり、文字情報の痕跡が新たな言語の連鎖を生み出していくネット上のチャットが考慮に入れられた。そこから初年度の目標、過去の芸術における画像と言語の関係を考えたとき、浮上してきたのが、いわゆる奪取(appropriation)としての芸術、あるいは美学という見方である。 かつて用いられた「引用」としての芸術・美学ということばが芸術内部での出来事を意味していたのとは異なり、奪取ということばは、その芸術内部の伝統によってそこから排除されてきた者が、外部からそれに攻撃を加えるのではなく、正当な伝統内部の領域に不法に侵入し、そこにあるものを、その内部にいる者にとっては不当なやり方で奪い取っていくことを意味している。当然そのための技術が必要とされる。 この点からみて、過去における画像と言語の関係上、きわめて重要な意味を持つのが、世紀転換期のドイツ(正当な芸術伝統の外部)においてヴィルヘルム・ポ-デが行った作品の「収集」(奪取)と、その収集過程での作品の移動や最終的な美術館への収蔵によって可能になった作品体験をもとに書かれたヘルマン・コ-ヘンの美学(過去の美学ならびに芸術からの意味の奪取)であり、両者と関わりながら制作を行っていた画家マックス・リ-バーマン(ベルリン「分離派」の領袖の後、アカデミーへ)である。この三者の関係について秋庭は、学会発表を行い、コ-ヘンについては論文を発表した。次年度はこの奪取を一つの軸に、電子メディアについて直に考察する。なお当初の目標に添って関連図書、必要ソフトの収集や、新宿ICCなどでの調査も行った。
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