本研究の目的は、犯罪事件のニュース言説の中で、「犯罪」がいかに語られ、「犯罪」のリアリティはどのように構築されているか、また、その中で社会秩序がいかにして可視化されているのかを、社会構築主義の視点から分析、考察することである。本年度(1997年度)においては、主に、神戸で起きた少年による小学生殺害事件を中心に資料収集し、関係者へのインタビューを行った。 神戸事件は他の少年事件と同様、「犯人」探し、(2)行為の「残虐性」、(3)少年法の「改正」と厳罰の要求、といった言説からニュースが構成されている。社会構築主義の視点では、「残虐」な行為は、それ自体で「残虐」的であると客観的に判断され得るのではなく、解釈者が相互作用を経て、ある「意味」を付与した結果であると捉える。このような視点からメディア言説を分析すると、「残虐」な行為という結果にあわせるような様々なエピソードが、行為者(少年)の過去から回顧的に選択され、解釈され、物語化されていることがわかる。 この神戸事件は、単なる少年事件の報道という枠組から、さらには、少年法「改正」や少年への厳罰化をもとめる統制強化の言説の中へと組み込まれていった。神戸の少年事件は、メディアにおけるイベントと化し、人々にとって「話題」となると同時に、少年司法をめぐるポリティクスの言説において利用される資源となった。この事件は、それ以前の少年事件報道と同様、「凶悪」「低年齢化」という枠組の中で語られ、その枠組は再生産されていく。 神戸事件後の少年事件(ナイフ事件など)も含め、「こども」に関する言説と少年事件に関する言説がどのように展開したのか、社会統制とどのような関係にあるのか、については、来年度の課題として残っている。
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