平成9年度に行った研究によってつぎのような新たな研究成果を得た。 (1)岡山県などにあった医療互助組合から現行国民健康保険制度のヒントが得られたといわれていた。しかし、内務省の建て前的な云分だと考えられる。けれども、それとは別に、世界の社会保険の発展史において日本の医療互助組合の独自性はどれほどのものか検討してみる必要はある。 (2)1930年代前半の日本においては、農村恐怖がもたらした貧困が社会全体の動乱を引き起こすおそれがあった。当時の内務官僚はそれを憂慮し、社会平和を維持するため、国民健康保険制度を構想しはじめたのである。その後、日中戦争の勃発と長期化の予測を背景として、日本国内の階級矛盾が海外に転移され、社会全体の動乱を引き起こすおそれはなくなった。しかし、長期戦の予測のもとで、これまで個人の私事であった民衆の病気・健康は、国家が責任をもって管理する対象になった。健兵健民政策は最優先の国家課題の一つになった。戦時体制の強化にともない、国民健康保険制度の性格がひそかにかわっていった。当初は農村救済策の一環としてもっぱら構想されていたが、のちには健兵健民政策の性格をつよめた。 (3)本研究を通して、はじめて明らかにされたのは、陸軍省が、国民健康保険の創設によって、出征兵士の家族の生活安定を確保し、出征兵士たちの心理安定をはかっていたということである。要するに、国民健康保険が創設された狙い・動機の一つは、出征兵士たちの心理安定であった。 (4)日中戦争が勃発して以降、日本は各方面にわたる戦時体制の整備をさらにはかった。これを背景として、議会審議において、国民健康の向上に貢献する制度・政策は通過しやすくなった。健兵健民政策の一環として期待される国民健康保険法は、その非常事態による時運にめぐまれ、1938年以前には日本医師会と産業組合との争いによって法案審議が難航していたが、1938年1月、順調に国会の審議を通過したのである。 日本型福祉国家の主要制度・国民健康保険の立案・実施過程に対して、「十五年戦争」が与えた影響は極めて大きい。
|