長野県(諏訪・伊那地方)および佐賀県(唐津地方)に調査を行い、在村知識人とその活動および思想に関する資料を収集した。 長野県の資料は伊那地方のもので、1830年を前後する時期の日記を中心とした資料である。日記の主である人物は、国学を学びつつ近隣の子弟に手習を講じており、その活動が日記から拾うことができる。同時に、国学の枠を超えた交友関係が記されており、様々な学問・教養が地域の民衆へと開かれていく事情を伺うことができる。これによって、学問・教養の広がりを、彼およびその他の手習塾・私塾による教育活動と関連させながら分析しうる。 佐賀県の資料は、江戸時代中期、村々を回りながら私塾で教育活動を行った人物の著作および書簡等である。この人物による数カ所の私塾での教育によって、この地方には早くから儒学が浸透することとなった。江戸時代後期については、報告者が以前分析を行ったことがある。ただし、現在のところこの地方には手習塾の痕跡が見つからず、儒学の浸透も村落支配層に限られると思われる。資料はそうした活動を行った人物の教育思想を伺うことができるものである。これによって崎門派の儒学の在地における実際にも迫ることができると考えられる。 両者の資料はかなりの分量にのぼり、現在はその読解にかかっているところである。
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