本研究では、平成8年度から、育児・子育ての社会的基盤形成の方向性を探るべく、戦前期(1920-40年代)の農山漁村で組織・運営された季節託児所(農繁期託児所)の発展経緯と実態解明を中心に、地域の子育て土壌の堀り起こし作業に取り組んできた。本テーマについては、先行研究が乏しい一方で、多分野の近接領域を網羅する必要があり、また散逸する史料の発掘を含むため、多大な基礎作業を要する。この意味では、十年来取り組んできた処女会(女子青年団の前身)研究のとりまとめ作業の中でも、関連史料や論文化への示唆が得られた。9年度の具体的作業と研究実績は、以下の3点に集約される。 1 復刻された希少な一次史料の一つ、川島瓢太郎著『農村保健婦』(山雅房、1942年)を手がかりに、「戦時厚生事業」期の季節託児所(「戦時保育所」)の政策的位置づけと全国的動向を明らかにすると同時に、農民生活に唯一の専門職として関わることのできた「保健婦」の果たした役割を考察した(論文1)。「共同託児」が、共同作業・共同炊事とともに、戦時期農村の労働・生活の合理化策として奨励され、保健婦自身が保母ないしその指導者として、「共同託児」に携わった様相が明らかになった。 2 『新潟県(越佐)社会事業』(新潟県社会課)や新潟県内の市町村史を中心に、同県内の季節託児所の発展経緯や保育の内実について、昨年度に引き続き、史料や情報の収集を行った。成果は現在整理中であるが、特に、『新潟県社会事業』では、「銃後対策としての季節保育所開設の手引」(1940)など、社会事業の中での位置づけを示唆する関係者の論考や幼児教育者の寄稿、関連データなど、本研究に有効な史実が多く含まれており、注目される。これらの史料の取りまとめが、次年度の第一の課題である。 3 新潟県内の季節託児所の成立や運営、保育の実態を示唆する一次史料(『実践季節保育所』など)や関係者による証言を、収集・調査中である。著書1でも断片的に明らかになったが、新潟は、処女会より婦人会活動が盛んであり、特に愛国婦人会の活動が目立った。同婦人会新潟支部は、県社会課と連携して、季節託児所の設立運営に携わっており、特に「金津村(現新津市)第一季節保育所」では、主任保母根岸マツエが両者から委託され、保母養成講習を主催していた。これらの実態の解明に加え、季節託児所をめぐる地域的構図や子育て土壌としてのメカニズムの解明が、次年度の第二の課題である。
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