本年度の研究実績としては、近代日本における身体観の変容を明らかにするための一視点として、女子中等教育の体育やスポーツに焦点を当て考察した論文をまとめた。論文は平成10年2月発行の『山口芸術短期大学研究紀要』30号に「身体の政治学のために(2)-明治・大正期における女子中等学校の体育、スポーツを手がかりとして-」として掲載される。論文の概要は、以下の通りである。 1.明治前期においては、女子が運動をするなど「はしたない」といった意識がまだ強く、なかなか広まらなかった。特に、男子に兵式体操が導入され、西洋式の制服に統一されても、女子は旧来のままの価値観に縛られたままであり、近代化を担う男子と、伝統的価値の中にいてそれを支える女子とに棲み分けがなされたのである。 2.日清戦争を契機としてこれに変化が生じた。これ以後、女子へも体育導入の必要性が強く説かれ、服装も従来の着流しから運動のしやすい改良服へと変化していく。明治30年代後半になるとスウェーデン体操も導入され、女子体育への取り組みは本格化していった。さらなる変化は大正期に生じる。第一次世界大戦を契機に近代戦争には人々の総動員が不可欠となり、女子も労働力とされ始めたのである。その結果、女子にはセーラー服が取り入れられ、運動がますます奨励されていく。 3.こうした変化が生じたのは、男子に遅れて女子も「国家の身体」として強く意識され始めたからである。スポーツの積極的導入、その競技会の活発な開催は、強健な身体を作り、辛い練習に耐えて、チームにさらには国家に尽くす精神を作り上げていくためのものであった。 女子の服装変化、体育の導入が遅れたのは、女子を「伝統」の範囲内で捉えようとし、近代化の中で「伝統」との妥協をはかったためである。この妥協は後々まで残っていく。
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