本研究期間においては、まず現象学的「生活世界」概念およびその方法化の手法をおさえ、さらに生活世界の構造・性格を問うことによって、教育学に対する現象学的生活世界概念の位置価について検討した。 教育学は、就中ヘルバルトにおいて、いわば「関係の学」を受け持つ倫理学といわば「人間(個人)の学」を担当する心理学の、これらの複合体として自らを構築するという志向において成立したが、その片翼を担う心理学は、個人の心的内容を、外面的行動から推測し定量化し技術的に処理する、そうした技術の体系(経験主義=実験主義的心理学)への自己定義へと赴いた。 心理学が採用したこのような技術体系への途は、自らの学問成果をどのように使用するかについては価値中立的な態度保留を結果したが、これこそがフッサールが慨嘆した、近代ヨーロッパの歴史・心性に潜んでいるある隠された動機・志向・目的論、つまり、倫理学への多幸症的信頼と、そもそも倫理と技術の分離・切断が可能であるとの前提を、教育学に持ち込む結果となった。 現象学は、その独自の手法(現象学的還元)により、そうした危機意識とともに人間の新たな存在形式(超越論的主観)を、心理学を含む諸科学に提供したのであり、それが教育学の諸学派における人間学の再定義・構築(W.Lippitzによると「人間学的転回」)を促したといえよう。
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