在日韓国・朝鮮人は世代を経ることによって、日本文化に同化したと言われる。しかし、彼らが、いくら日本文化に同化しても、あるいは、日本に帰化しても、「われわれ」と「かれら」のような日本人と在日韓国・朝鮮人を二分するエスニック・バウンダリーは、絶えず存在する。この事実は、在日韓国・朝鮮人というエスニック・バウンダリーが、在日韓国・朝鮮人だけではなく、他者である日本人によっても、規定されることを意味する。在日韓国・朝鮮人のエスニック・アイデンティティは、このような日本人との「関係論」の文脈で、垣間見ることができよう。換言すれば、在日韓国・朝鮮人のエスニック・アイデンティティは、ドミナントな日本人との相互作用の結果、生成されたものであろう。 エスニック・バウンダリーとは、ある特定のエスニック・グループにどのような人々が帰属するのかを規定する集団成員の範囲及び境界のことであるが、問題になるのは、そのバウンダリーが自己だけでなく、他者(他集団の成員)によっても規定されることである。この視点は「彼ら」が存在してはじめて「われわれ」という存在が成立する。今日の在日韓国・朝鮮人の3世、4世の諸相を考慮した場合、日本人との通婚、世代の経過、日本文化との接触による文化の変化はかなり進んでいる。しかし、彼らが日本文化との明確な差異が確認できる文化的諸特徴を共有することによってもたらされるエスニック・アイデンティティより、日本人との相互作用の結果、日本人側からの排除あるいは差別の目印であるスティグマを突き付けられる形で日本人と在日韓国・朝鮮人のエスニック・バウンダリーが生成される事実に着目する方が、在日韓国・朝鮮人のエスニシティの本質を理解するのに有効的である。また、このような関係論的アプローチによって在日韓国・朝鮮人の問題を文化的側面だけでなく、社会・経済的側面から捉えることが可能になるのである。
|