本年度は、引き続き奈良国立文化財研究所の協力を得て興福寺の史料調査を行った。おもに、『興福寺典籍文書目録』第2巻に掲載されている記録を中心に調査し、主要な文献に付いては、複写した。集会記録・近世中期の僧侶の日記・春日神鹿関連の史料である。前年度収集した史料とあわせて解読した。 祭礼あるいは法会のうち、春日若宮祭礼に付いて中心的に分析した。奈良奉行所与力の記録である「庁中漫録」の中に、戦国期から織豊政権期に作成された送状があり、これを中心に、他の記録を突き合わせると、送状の内容と実際にそなえられる物とが一部乖離していること、国人の地位によって供物量に違いが大きいこと、あるいは天正期になると減少が目立つこと、惣奉行とよばれる事務担当者の地位が大きくなること、かれらは、在地の小領主とよばれる階層に属することなどが明らかになった。これらの変動は、かって柳田国男が『日本の祭』で論じた大きな宗教変動、すなわち「宗教の世俗化」にも比される問題である。 また、実務的な部分が小領主によって支えられているという点は、日常的な寺院経営にも反映しており、『多聞院日記』をそうした観点で分析すると、端的な事例として備前村衛門太郎の例が挙げられる。彼を通してみると、天正末年から慶長期にかけて、小領主の位置づけが大きくなっていることがわかり、宗教教団のみならず近世初期の地域社会の主要な担い手が彼らであったことも明らかになってきた。
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