ワイマール時代は、教育・文化史のたちばからみるならば、周期的に訪れる学生過剰に教育機会の拡大が追い討ちをかけ、ドイツ史上空前の就職難の時代となった。その結果大量に出現した「大卒ブロレタリアート」が、ワイマール文化のひとつの特徴をなす文土やジャーナリストといった知的自由業の成立に寄与していた。今年度はこのような学生過剰問題が芸術家養成教育におよぼした影響を考察してきた。伝統的な芸術家養成機関であるアカデミーは学生の職業機会を拡大するために国家の大規模な造営事業に積極的に関与していた。たとえば、1870年代以降活気づく記念碑や記念塔などの歴史的な建造物の建立や再建がそれである。このような事業への参加によってアカデミーは卒業生に職業機会を提供し、それによって入学志願者を安定的に確保することができた。しかし、すでに1900年頃には早くもこのような造営事業は頭打ち状態に入り、卒業生の職業機会は確実に減少した。いっぽう、時代の趨勢である学生過剰問題はアカデミーをも襲い、職業機会にありつけない卒業生の数は日増しに増加の一途をたどった。職業機会に恵まれない学生や卒業生のあいだにアカデミーの教育体制にたいする批判がたかまる。 ワイマール文化のひとつの特徴とされるモダンアートの成立に寄与したのはこのようなアカデミー出身者であったという仮説を立て、アヴァンギャルドと総称される芸術家たちのうちの数名の伝記的な研究に取り組み、研究方針の正しさを確認することができた。今後の課題としては、さらに事例研究の数を増やし、学生過剰問題とモダンアートの成立のあいだにある因果関係を明らかにしていきたい。
|