研究概要 |
本研究の課題は、東フランク王国を構成するフランク、ザクセン、バイエルン、シュヴァーベンといって個々の部族の次元を越えた、王国レヴェルにおける新たな共属意識の形成過程を、「ドイツ人(Theodisci/Teutonici)」という用語の歴史という観点から解明することにある。平成9年度の研究内容は以下の通りである。1,研究の過程で想定された仮説によれば、「ドイツ人」という民族名は、1000年頃皇帝オット-3世の周辺に集う知識人によってイタリアから受容されたものであると思われる。Theodisci/Teutoniciという名辞は、本来イタリア人によってアルプス以北のゲルマン語系の住民を言語的観点から区別する目的で用いられた語彙であったが、これらの用語が皇帝による「ローマ帝国の復興」政策を体験した“ドイツ人"によって、自らの民族名として使用され始めたのである。2,1の研究と平行して、10世紀におけるドイツ民族意識の未生の理由についての考察をおこない、その成果を「"フランク"と"ドイツ"の狭間--初期オット-ネン治下の王国と支配者の呼称について」と題する論文にまとめ、学会誌『西洋史学』に投稿、受理された(平成10年3月公刊予定)。要点のみを整理するならば、国王証書における称号,叙述史料における王国・国王概念を検討した結果、王国レヴェルにおける共属意識形成を阻害した最大の要因は、次の2点に求められた。(1),支配の正当性原理たるフランク的伝統の根強い存続、(2),諸部族の連合体としての東フランク王国の政治的構造、特にフランク・ザクセン人という二つの有力部族間の軋轢。平成10年度の研究課題としては、1の問題に関して個々の用例の具体的内容をさらに掘り下げて分析するとともに、11世紀の用例の収集・整理作業を続行することが中心となる。
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