平成9年度の調査で、東北地方最大の近世窯業である相馬焼に関して、窯跡の分布調査や関連する古文書の検討を行い、生産地での基礎的データを得た。その結果、大堀相馬焼、小野相馬焼それぞれの型式編年を確立するとともに、製品の技術的特徴を明らかにし、相馬藩の窯業保護管理政策と消費者側のニーズが、実際の陶器生産にどのような影響を与えたか考察を行った(関根1998)。 平成10年度は、これまで城館跡に偏っていた陶磁器に関する消費地でのデータを補足するため、近世墓に副葬された陶磁器と漆器の集成と検討を行った。近世墓の副葬品は、墓碑から埋葬年代や被葬者を特定しやすいばかりでなく、数量的な操作にも適している。また、直接墓碑を伴わない場合でも、六道銭から大まかな年代を推定することが可能である。その結果、東北地方の近世食膳具に関して、次ぎのようなことが判った(関根1999)。 (1) 東北地方のなかで、漆器生産の盛んな、南部藩領二戸・浄法寺周辺と、仙台藩領胆沢・平泉周辺では、江戸時代を通じて漆器が食器の主体を占めていた。 (2) これら漆器生産地以外では、徐々に食器の主体が漆器から陶磁器へ移行する。漆椀に代わり陶磁器の飯碗が普遍的に多く使われるようになる時期は、城館と農村部では異なり、前者では17世紀のおわりから18世紀はじめ頃であるのに対して、後者では19世紀にまで時代が下る。 (3) 東北地方の場合、漆椀に代わり陶磁器碗が飯ワンとして定着する過程で、大堀相馬焼が肥前磁器以上に重要な役割を果たしており、18世紀代に大堀相馬焼が東北地方の広い範囲を市場とすることができたのは、安価で良質な飯碗を供給したからに他ならない。
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