本研究の2年目にあたる今年度は、与えられた科学研究費による一通りの成果として、別記したような論文を執筆した。成果の具体的な内容は以下の通りである。 1. 西日本に比べて東日本における移動式竃の普及が遅れる事実を、東京都多摩ニュータウン遺跡群や千葉県永吉台遺跡群を例にとって具体的に後付け、その導入の原因を、かつて西日本に起こった社会構造の変化と同じ要因によるのではないかと推定した(論文「古代における竃の変質」)。 2. 甑形土器における地域性の総括的研究を行った(論文「甑形土器の地域性」)。この論文で、5世紀以降の甑形土器にみられる日本列島を東西に分かつような地域性は、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての小型甑のあり方に起因したものであることを示した。 3. 甑や竃が分布する境界域の研究は、その導入や普及の仕方が端的に現れる地域であることから非常に重要である。そのケーススタディーとして、熊本県における研究を開始した。 (1) 熊本県における竃や甑形土器の動向を把握した(論文「熊本県における甑形土器と竃の普及」)。 (2) 炊飯様式の地域性と墓制の地域性の共通性を指摘したく論文「墓制と生活様式の共通圏の形成」)。すなわち熊本県は、竃や甑および前方後円墳が分布する北部地域と、それらが分布しない南部地域に地域分けすることができる。その炊飯様式と墓制の関係か、東北地方においては熊本県地域と異なる可能性があることを指摘し、同じ境界域といってもその動向は別様に考察すべきであることを提示した。この視点は、古墳時代の墓制だけではなく、のちの律令体制時における蝦夷対策にも関連する問題であると思われ、今後さらに研究を発展させたいと考えている。 なお、東京や東北地方への資料調査旅行で得た知見が、この問題の考察に生かされている。
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