古代寺院と官衙、古墳が近接して立地し、それぞれの調査が進んでいる地域として、兵庫県多可郡中町をとりあげた。大型石室をもつ東山古墳群の調査成果を検討し、年代的に官衙成立の直前まで継続することが明らかにできた。また、官衙遺跡の思い出遺跡と古代寺院の多哥寺遺跡の建物方位を検討し、ほぼ同じ方位をとることが確認でき、官衙と寺院が一定の地割の中に配置される現象を抽出できた。次に、東山古墳群と同郡内の他の後期古墳と比較した結果、石室の構築法や副葬品のうえで共通性がみられる一方で、規模においては東山古墳群が傑出し、郡領層につながる系譜を推定した。郡内には東山古墳群に及ばないもののやや規模の小さな古墳もあるが、里や郷の長にかかわるものと考えたい。 同じ播磨国の賀毛郡の場合についても検討をおこなった。やはり風土記の里に対応するように後期の横穴式石室墳が分布するが、古代寺院の周辺にある古墳が石室全長で10mを超える規模をもち、寺院と石室規模が相関関係があると判断できる。最大の横穴式石室が位置する殿原廃寺の周辺に賀毛郡衙を推定できるのではないかと考えた。また、赤穂郡の中心域と目される上郡町についても実地に検討をおこなったが、同町与井に赤穂郡衙が比定され、大型石室の与井古墳群や西野山古墳群が隣接し、古代寺院の与井廃寺もあり、多可郡でみられた構造がより集約的に現れていると判断した。 最後に寺院、官衙が現れる時期について考察した。多くの郡衙遺跡は7世紀末に成立するが、多可郡の場合それよりも古く中葉に遡ると考えた。このような例を考えるうえでは福岡県小郡市の小郡遺跡群と井上廃寺の関係が示唆的である。7世紀中葉に官衙が成立する地域においては古代寺院の年代もやや遡ることがわかるからである。
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