研究概要 |
近代日本の国語として、話し言葉としての〈標準語〉と、書き言葉としての〈言文一致〉体の採用が決定され、それらを国家の言語に相応しい形態にすべく整備してゆく明治三十年代から大正初期の時期に着目し、国語政策、国語に関する各種の出版物、文学に関する出版物の相互関連性を問題にすることで、次のことを明らかにした。 1,この時期の国語政策は、上田万年や保科孝一などの、東京帝国大学の国語研究所と言語学会のメンバーを中心に形成されるが、その主要なイデオロギーは、単に近世国語の音声語中心主義的な言語観を継承するだけでなく、現在に於いて話されている言葉の重視という新たな言語観をそれに付け加えたものであること。 2,1で述べた言語観に従って、各地の話し言葉の調査が実施されるが、こうした国語政策上の調査の他に、当時、数多く出版される口語文典が、話し言葉をほぼそのまま採取して、その文法的な法則性を明らかにするという活動を行っており、これらは必ずしも国語政策と同じ言語観と目的にたってなされたものではないにもかかわらず、結果的に国語政策に貢献する調査になってしまっていること。 3,こうした国語政策に於いては、〈標準語〉と〈言文一致〉による国語の統一が目指され、旧来の文語や方言は撲滅の対象となるが、周知の通りそれは実現されず、結局〈標準語〉と〈言文一致〉は、方言や文語をいつでもそれらに〈翻訳〉しうる言葉として位置づけられること。つまり撲滅より〈翻訳〉が国語の実際的な役割になってゆくこと。 4,こうした〈翻訳〉という機制からみると、明治末期以降の小説が、会話文に於いて方言を盛んに採用し、しかもそれを地の文の発話者の内面描写に於いて、整った〈言文一致〉体に〈翻訳〉してしまうようになる事態は重要な意味をもっており、いわば3の国語政策の未成立から生み出された〈翻訳〉という言語状況を、最もよく体現し、支えていること。
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