本研究「明治文学における<絵画>とモダニティー藤村と漱石を中心に」は、島崎藤村、夏目漱石を中心に、現実システムにおける<余剰(過剰)>としての感情が絵画化されてゆく諸相を追求しようとするものであるが、今年度は夏目漱石の初期世界を中心に考察を進めた。 漱石の初期作品には、『草枕』『三四郎』など、<女>を絵画化する趣向のものが多いが、ここで<女>は現実の近代システムから疎外された者の比喩であり、そのような<女>は<画のように>眺められている。しかも、<画のような>眺められる<女>は、現実に<画>に描かれ、画布の中に収められることによって、現実界に繰り込まれてゆくこととなる。 今年度の研究においては、漱石作品において、<絵画>と<画のような>が<世界>と<反世界>として拮抗、対峙しながら作品を形成してゆくプロセスに着目し、分析を試みた。<画のような>とは、現実世界を超越しようとする美意識であり、<絵画>と<画のような>は、作中、きわめて正確に、ニーチエにおける<造形芸術>と<音楽>の対比と呼応しあっている。つまり<画のような>における反世界性とは、近代文明に対する批評意識であるともいえ、ここに漱石の文明批評と呼ばれるものへの具体的切口を見出すことができた。その意味で、『草枕』『三四郎』とは、女を画に封じ込めることで、<画のような>世界を近代システムは回収してゆく物語であるといえ、さらに、この拮抗関係をもっとも緊張度の高い地点で取り出した作品として、現在、『虞美人草』を検討中である。 「米と食卓の日本近代文学誌」(『米と日本人』所収)は、<女>が<妻>として国民国家の近代システムへ回収されてゆくプロセスに生起する葛藤を、『心』の食卓をキ-に分析したものである。
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