本年度の研究は日本近世漢詩文に作り手の儒学的素養がどのように反映されているかという問題意識のもとになされた。新井白石については、若年期の詩稿『陶情詩集』が収載される作品の訓話注釈の作業を進め、『三体詩』などを中心とする唐詩の影響が顕著であることを明らかにしえた。山梨稲川については自筆詩稿の『稲川詩稿』の調査と複写とを進め、その多様な特性を有する漢詩が、日々の感慨を十分に盛り込んでおり、当時の静岡市や清水市の状況を彷彿とさせるものであることを明らめえたのである。ただ特に本年度の研究で力を注いだのは古賀精里と同時代の漢詩文に、如何に儒学的素養が表現されているかという点であった。精里と交遊を有し、昌平黌周辺の文人と目すべき大田南畝の作品に殊に着目し、早稲田大学図書館所蔵の一写本に載せられる「読平語」と題する漢文の平清盛論については、綿密な内容分析を行い、それが先行する日本近世の学人や、中国の経典の素養の上に立つのみばかりか、明代の学問思想のうち最もラディカルな李卓吾の思想とも通底する内容を有することを指摘し、別掲の論文にもまとめた。また大田南畝が精里ら昌平黌儒官に遜らない儒学的素養を有しながら、それを生かし切れない下級幕吏という身分であったが為に抱いていた内面のジレンマをその漢詩に頻用される「吏隠」という語の分析を通して呈示し、論文の体裁で世に問うた。また南畝とは異なって、官職を奉ずることを人生の半ばで放棄した浦上玉堂については、その隠遁者としての晩年の心懐を詩と絵画の表現様式に捜りその詩論・画論の核を明らめ、これを論じた。また日本漢詩文の揺鹽である中国古典詩歌に造詣を深めるべき近人の論文一篇を中国語から日本語に翻訳して公にした。
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