当該「研究」に関する私的到達点と考える拙著『被占領下の文学に関する基礎的研究--論考編』(1996年2月武蔵野書房発行)・『同--資料編』(95年12月同発行)の枠組みから離脱し、更なる意図的展開を求めて予算申請時の「研究計画・方法」に概ね基づき一年間の「研究」作業をおこなった。その一つは、日本近代文学会九州支部及び日本社会文学会九州・沖縄ブロック大会における研究発表と学会誌への投稿である。その場における批判的な指摘に稚技のいたらなさを知り、会場との応答に加え小考の執筆段階でも指摘された考察軸に対峙することで応える論の構成を心がけた。また、拙著の「研究」段階から引き継ぎ、GHQ/SCAP検閲が削除した作品本文の復元と事例「研究」に努め(石川淳『黄金伝説』・永井荷風『罹災日録』など)、その狭義性と硬直性を制度的変遷の一端の解明のうちに求めた。加えて<批評理論研究会>の示唆的意見交換からの多くの益を得、作品本文に向き合う自身の解釈が動揺したことをうれしく省みる。他方、「研究計画・方法」にある国立国会図書館憲政資料室所蔵資料の閲読は不十分なままにあり、向き合う姿勢の曖昧さを自身に問わなければならないと感じる。(特に検閲項目「inform」のGHQ/SCAP内の情報価値の確定など)。敗戦期の言語環境の変化を個別的に検証し、私的設定≪敗戦期文学試論≫と従来の戦後文学を作品読解作業に平行させその領域を明確にしたいとの当初の目論見は次年度も基本的な設定範囲として継続する(次年度昭和文学会春期大会で研究発表予定)。半世紀を経てこれまでの流派研究的拘束から離れ、1940年代後半の日本近代文学の形態と特殊性を文字表現それ自体から再考する時期と考えるからである。他者(GHQ/SCAP)が敗戦期の日本文学に与えた具体的な記述とその性格も、その作業を連続する拡大性から自ずと明確になるものと考える。
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