今年度に行なった研究により確認しえたことを以下、摘書する。 国会図書館を中心に調査を行なった結果、東都掃墓会幹事である山口豊山が膨大な資料を残していることが分かった。『夢跡集』の存在は、戯作者の伝記研究をなすにあたって近年注目されていたが、それは整理・浄書されたものにすぎず、草稿や手控えの類に、より多くの〈情報〉が見受けられることも確認しえた。現在、その内容について一応の調査・整理を終えた段階である。化蝶庵主『東京墓碑銘集覧』全5巻や赤沼伍八郎による『赤沼掃墓録』全28巻は、『夢跡集』を補完する資料として新に確認された。赤沼と山口との間に取り交わされた手簡写しも存在し(『掃墓雑記』)、情報交換がなされていたことも窺える。 東京の市区改正に伴い名家墳墓の移動がなされ、柳亭種彦や一九などの墓も新墓地に移っている。震災以後は廃滅に帰したものも多い。そうした時代に、内務省の「史蹟調査会」、徳川頼倫の「史蹟名勝天然物保存協会」、先に触れた「東都掃墓会」、大槻如電を始めとする「探墓会」など多くの〈掃墓〉に集う一群が発足し、個人レベルでは、坂田諸遠(『野辺夕露』)や磯ヶ谷紫江(「墓碑史蹟研究」)などに見るべきものが多い。明治期の雑誌などにも、伝記研究において「掃墓家」に委ねる旨の発言をみることがあるが、文献による伝記研究とは別に、「掃墓」が伝記研究の一方法として定着していたようである。今回調査した中では「南仙笑楚満人」などの資料が収集できた。こうした掃墓の起源を尋ねるとき、近世後期における『墓所一覧』の著者、水戸の老樗軒の果たした役割が注目される。京伝とも交流の深い小山田与清との繁がりを想定でき、今後調査を進めていく予定である。こうした一連の調査を踏まえ、『野辺夕露』記載記事を参照して、京伝と和学者の交流に関する私見を論文にした。
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