研究概要 |
王位空位期間(インターレグナム)と呼ばれる、チャールズ一世の時代と1660年の王政復古期との間に、どのような演劇が上演または執筆ざれ流通したのかを考えることにより、17世紀後半以降の演劇と政治との関わりをあきらかにするとともに、王政復古以降の演劇研究のあり方に新しい視点を与えることを目的とした。その過程で特に注目したのが50年代のProtectorate(護国卿政治期:1653-59)に数多くの劇作家・詩人によって書かれ、回覧またはプライベートで上演された悲喜劇(tragicomedy)である。昨年の研究において、王政復古をはさむ前後にフレッチャーなどによる悲喜劇が頻繁に上演されたことを確認したが,王位空位期間には悲喜劇が王党派の文人達により極めて政治的な意味を付与することのできるジャンルとして繰り返し使用されてきた。Naocy Klein MaguireはRegicide and Restoration:English Tragicomedy,1660-1671において、王政復古期と王位空位期間の悲喜劇の流行と王の処刑との関係に注目しているが、それでは王の処刑(1649年)以前に書かれた悲喜劇と50年代に書かれた悲喜劇との類似性を無視することになる。王の処刑という悲劇的現実が、王政の復活という喜劇的な結末によって回収される悲喜劇を、王党派にとっては現実にはありえない願いを満たしてくれる現実逃避的、あるいは国の本来あるべき姿を提示する作品とみなすのではなく、チャールズ一世の君主としての再興を望めないと同時に望まない王党派の現実への妥協の可能性を探る場として考えるべきである。本年度は、以上の点を具体的に検証するために、WilliamCartwrightの作品The Royal SlaveにThe Lady Errantを取り上げた。清教徒革命と王政復古以降、またチャールズ一世の処刑の前と後とにみられる演劇における隔たりを埋める可能性が、Cartwrightの作品に垣間見られた。
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