平成10年度も9年度に引き続き、青森、秋田、東京の所蔵機関で資料調査を行った。その結果、これまで研究がなされていない多くの江戸時代のアイヌ語資料を新たに見いだすことができた。特に、享和年間に岡儀三郎という人物によって作成された「蝦夷言」という資料は、アイヌ語彙数が多いことと年代が古い点で、特筆されるべきものである。さらに、これらの資料の言語学的な性格、資料的価値についての考察を行う過程で、年代の古いと思われる資料にはやはりアイヌ語の古い姿を示していると思われる特徴のあることが明らかとなった。すなわち、現代のアイヌ語ではアクセントの対立として記述されるべき特徴が、最古のアイヌ語文献と言われる「松前ノ言」も含めて、古い時代のアイヌ語文献では長母音であったことを示す表記のなされていることが明らかとなった。このことは、各資料をばらばらに研究していたのでは立証困難なものであり、本研究において江戸時代のアイヌ語文献を系統的に収集分類することによって初めて明らかになってきたものである。詳細は、さらに大量の資料を系統的に研究することによって補強しなければならないが、もしこのことが立証されればもう一つの重要な問題が明らかとなる。すなわち、もし古い時代のアイヌ語資料に長母音が極めて普通に確認されたとすれば、現代の諸方言に長母音の全く見られない原因は何かが問題となる。一つには勿論、言語変化が考えられるが、もう一つには近世以後の大規模なアイヌ語方言の交替、統合を仮定する必要があろう。すなわち、現在代表的なアイヌ語方言として知られている北海道西南部方言の分布は、比較的近年の拡大である可能性が出てくるのであり、この方言の出自を知る上で大きな問題を提供するものと言える。
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