北京に かつて長期滞在していた93年から94年にかけては、経済も好調で、文化活動にも民族的な自負が表れていたように見受けられた。音楽界で近代以降の「華人」(大陸、香港、台湾の別を問わず、全ての中華民族の意)による創作作品の歴史的総括が行われたことは、その象徴であるとも言える。しかし97年8月の北京は、建設ラッシュが続く街の様相に比例して、「混沌」のイメージが強烈であった。劇音楽や舞台芸術の実態について中国側専門家のレビューを受けたが、その方面で例をあげると、伝統的な劇場が市の再開発事業にともなって完全に破壊され、巨大なビルの一テナントとなったり、一方では解放後禁じられてきた京劇の女形が復活の兆しを見せていることなどが注目される。市民の文化生活の多様化は、音楽ソフト、ハードの充実にも表れていた。以前は高級品だったCDの種類も増え、VCDの普及によって革命現代京劇、革命模範劇などが再び見られるようになった。このように中国の文化界は、技術や設備の目ざましい革新に促されつつ、過去の遺産を客観的・相対的に振り返る段階に移行しつつあると言える。情報量の飛躍的な増大はおのずと価値観の多様化を導き、その中で外来文化の意味づけが改めて問われてくることは疑えない。今年度発表された創作作品の中にも、香港返還を題材にした交響曲などがあり、民族的な情感と西洋の作曲技法の融合が、現在なお大きな課題であることが明らかである。以上のことを視野に入れつつ、今年は博士論文を公刊すべく原稿執筆に取り組んだ(1998年9月に出版予定)。
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