まず、代表的な教科書類における解釈論の理由付けの検討から始めた。ここにおいて、最も注目されるのは、我妻栄『近代法における債権の優越的地位』の影響力である。とりわけ、担保物権法の分野においては、「抵当権者に有利である」ということが、解釈論の唯一の根拠となっている例すら多々見られる。同様に、債権譲渡等の分野でも、「債権の流通性を高める」ということが、解釈論の論拠として用いられている。 以上の点をいかに考えるかが問題であり、それが利益考量論をいかに位置づけるかにもかかわってくる。現時点での試論を述べれば、利益考量論は、実は「利益を考量する」というところにその真価があったわけではなく、「考慮すべき要素を多様化する」ということに貢献したものと見られる。現時点では、一方の価値のみを強調して、解釈論の論拠とするのははばかられる状況であろうと思われるのである。 しかし、我妻の論拠提示が、まさに近代法の進むべき方向に関する我妻テ-ゼに基礎づけられている点も重要である。つまり、方向性のテ-ゼを経由して初めて、上記のような理由付けが可能になったのである。そうであるならば、問題は、はたして方向性を認識することができるか、また、認識することができるとしても、それを解釈論の根拠とできるか、が検討されるべきことになる。とりわけ、前者については、マルクス主義的な方向性提示が強い批判を受けたにもかかわらず、なぜ我妻テ-ゼは生き残ったのか、が問題とされなければならない。
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