1997年(平成9年)年度は、研究計画に合わせて、ひろく市民権・ナショナリティ・民主主義関連の文献をサ-ヴェイし、読んでいった。その際、法哲学や政治思想の専門家と共同の研究会を組織し、お互いの議論の中から様々なことを学んだ。 このなかで明らかになったことは以下の2点である。まず、民主主義の理論(たとえば社会契約説)がいかに国民国家という単位を前提とし、しかも無自覚的にそうしてきたか、ということであった。そして次に、この国民国家の理論的な結合は、市民権に関しても同様に生起しており、そこでは市民権は国籍(ナショナリティ)やそれに伴う権利義務関係と同一視されがちである。 これらは概念的な発見に止まらず、現に問題となっている。というのも、第1に、グローバリゼーションや地域主義が興隆する中、国際的な政府間協力がどの地域でも進行し、一国民主主義のコントロールの及ばない政府間決定の領域が飛躍的に増大しているからである。第2に、移難民や在留外国人に対して、当該国の国籍(ナショナリティ)がないという理由で市民権(あるいは人権)をも賦与しない状態を生じさせうることが挙げられる。 この第1の点を、ヨーロッパ統合の現状に即して発表したのが『世界』に発表した「さまよえるヨーロッパ統合:デモクラシーとテクノクラシーの狭間」であった。研究計画によれば、本来、次年度に発表するはずであったが、編集者の要望と現地ヨーロッパの動きによって現段階で執筆することになった。 次年度は、原理的な問題とともに、通貨危機後におけるアジア太平洋諸国の動向を踏まえ、一国デモクラシーに関する検討を続けてゆきたい。
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