研究概要 |
本研究は、十六世紀のイングランドとフランスの政治学の双方に亘る調査を行おうとするものであるが、イングランド関係の調査を行った昨年度に続き、今年度は、フランス側の調査を、フランソワ・オトマン(Francois Hotman)を対象に行った。 具体的な調査の対象としたのはオトマンのFrancogallia(1573,1576, 1586)であった。オトマンはいわゆるモナルコマキの一人とされ、ユグノーによる武装抵抗に積極的に関わった人物であるが、彼のFrancogalliaは、ローマの属領となる以前のガリアから15世紀にフランス国制史を叙述した作品であり、紙幅の大半は、カエサル、タキトゥス、アイモン、トゥールのグレゴリウス、シゲベルトなど歴史家の引用とその解説に費やされており、抵抗権の正当性を理論的に論じた、他のモナルコマキのパンフレットとは様相を異にする。 オトマンは、publicum conciliumが歴史上、一貫して保持したsummum auctoritasがカペー朝の下で失われ、senatusの後身たるparlamenta juridicialiaが優位に立つに至ったとし、父祖の国制への復帰を説く。この議論の中心は、mos mairorum nostrorumとrex個人の対比にではなく、むしろ、conciliumの中心を(populusでなく)proceresと捉え、senatusを構成するconsiliariiに対比し、もって自由人と家畜の対比に重ねるところにある。つまり国制の最終的な支柱は慣習よりも貴族集団であり、武装抵抗の発動にあっても、オトマンはproceresの判断とconciliumによる判断との間に区別だてをしようとしない。よって、タイラントに対する貴族の抵抗についてはその正当性を吟味する理論的装置が一切備わっておらず、この点が、十七世紀の主権論者から(内乱に対応し得なかったと)批判された原因であると思われる。
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