清代の直隷は首都にあたる順天府の所在地であり、直隷を東から時計回りに囲む形で山東省、河南省、山西省があった。清代の内地18省においては、通常、各省に地方行政長官として巡撫が派遣され、2省から3省ごとに総督が配置され、地方行政長官同士の相互牽制が図られた。けれども、山東省、河南省、山西省の3省には総督がおかれず、巡撫のみが配置されるという特殊地域であった。この地方行政長官の特殊な配置を一応の根拠として、直隷とこれら3省によって構成される地域を「北京首都圏」とみなし考察の対象とした。 そして、「衝繁疲難」制度にもとづいて、全国各省の行政管理難易度を算出した。データの基礎は、散州を含む全国1465県(そのうち首都圏4省合計は448県)である。各項目について、4字缺の県には4ポイント、3字缺の県には3ポイントを与え、2字缺は2ポイント、1字缺は1ポイント、無字缺は0ポイントとして各時代の各省ごとに加算していき、総数値を各省の総県数で除することとして、各省の行政管理難易度を算出した。当然、数値が高いほど行政管理難易度は高かったことを意味する。 首都圏の個々の省について見ていくと、首都圏は直隷・山東省グループと、山西・河南省グループにまずニ分されうる。ずなわち、直隷・山東省では行政管理難易度が一貫して全国平均の行政管理難易度よりも高いのである。他方、山西・河南省では事態は逆である。行政管理難易度はどの時代にも常に全国平均を下回っている。特に、山西省は河南省よりもさらに低いことが注目される。また、山西・河南省ともに、4省の平均に較べても低い。つまり、省レヴェルでみれば、清代の北京首都圏は行政管理が比較的難しい直隷・山東省と、比較的容易な山西・河南省に2分されるわけである。
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