研究概要 |
本研究は、マキアヴェリの国家観を、その政体論に焦点をしぼりつつ歴史的に検討するものである。かれの政治理念を歴史的公共体の政治思想として提示し、「近代政治思想の開幕者」「公民的共和主義の伝統の継承者」「国民国家形成期の絶対主権論を生み出した国家理性論者」といったマキアヴェリのさまざまな相貌間の緊張を調停するための一助としていきたいと考えている。 本年度は、『ディスコルシ』の読解をつうじて、マキアヴェリの国家論のなかでの政体論と共和主義との関係を考察した。キケロらに代表される伝統的共和主義とマキアヴェリの国家論との異同が、共同性を実現する栄誉を自由と考える自由観や、共同性の維持と不可分に結合した個々の徳目間にも見いだされることを確認することができ、それをマキアヴェリ共和主義を扱った別記論文として公表した。いかなる都市も自由なくして栄誉を獲得することはできないという主張、そして共和的政治体制の維持なくして自由な政治生活を維持することはできないという主張。これらがマキアヴェリ的共和主義が伝統的共和主義から継承した政治的自由観念の本質であった。たしかに、法にしたがって形成された体制=政治体制body politicを指すのにres publica,repubblicaの語を用いていた人文主義者たちの用語法と、ときとしてstatoをも用いるマキアヴェリの用語法とは異なる。しかし共通善と共和体制を不可分と考える点はマキアヴェリも伝統的共和主義者の人文主義者たちも同じであって、共和主義的な選挙体制下でのみ公民的偉大さが発達しうるとマキアヴェリは考えていた。換言すれば、マキアヴェリにとっても、政治や国家は「差異の」自由を擁護するためではなく、公共体に「共通する」自由を擁護するためにあるのである。マキアヴェリの歴史的公共体の国家論には、こうした共和主義の要素が含まれている。
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