本研究の目的は、道路建設・改良を中心に、日清・日露戦後期の交通網整備に対し中央・地方財政がいかなる役割を果たしたか、また交通網整備が各地域の変化、ひいては日本経済の発展にどのような影響を与えたか、という問題を解明することにある。そのため、a国・道府県・群・市町村間の道路整備費用の負担関係に関する全国統計を分析する、b中央政府の全国的な交通網整備計画と道路の位置付けを考察する、c九州を中心に具体的な地域の事例を取り上げ、道路など交通網整備の過程とその影響を分析する、という具体的な研究目標を有機的に関連させながら実証的に検討することにした。そこで今年度は、aに利用する全国統計、b・cの検討に必要な第一次資料[政治家・中央官庁や福岡・佐賀・熊本・宮崎・埼玉県の県庁文書・県議会史料]を始め、資料調査・収集を行った。その上で昨年度に引き続きaの分析を進め、九州を中心に各県の特徴を考察する一方、cの一環として、昨年度に執筆した日清・日露戦後期の福岡県を対象とした事例研究の成果を他の時期・他の県と比較するため、日清戦争までの福岡県の道路政策に関する論文の執筆・発表に加え、佐賀県の研究に着手した。その結果、日清・日露戦後期の福岡県では積極主義が定着し総花的な道路政策が行われていたのに対し、根強い民力休養論で財源が不足していた日清戦争前はどの路線を改良するか地域間で激しい対立が生じたこと、党派対立が激しかった佐賀県では、明治末まで多数派が対立党派の地盤を通る道路の予算を削減するなど、地域利害の調整が難航したことなどが判明した。今後は資料収集を継続する一方、aの分析の継続やbの本格的な検討に加え、cについて史料の豊富な宮崎県など他県の状況を分析することで、日清・日露戦後期の道路整備の実態と日本経済に与えた影響を解明する。
|