本研究では、今から約5500年前の海水準が高く、海岸線の後退が顕著であった時代の東京湾の潮汐特性を数値シミュレーションにより調べ、特に湾口・湾奥では現在と大きく様相が異なっていたことを明らかにした。潮汐モデルの開発に当たっては、現在の東京湾と有明海へ適用することで潮位・潮流の観測値を良く再現するスキーム(開境界条件、干出条件、底摩擦の定式化)並びにパラメタ値を決定した。その結果M2潮の振幅を1.6cmの二乗平均誤差で観測値を再現し、有明海の干潟分布も良く再現できることが確認された。このモデルを用いて海水面だけを上昇させた場合と、さらに海岸線後退の影響も加味した場合の潮汐変化について数値実験を行い、現在の東京湾の潮汐と比較した。海水面が現在より2m高い場合、東京湾の最大潮差は数cm減少したが、海岸線が約50km後退した縄文海進時の地形を加味すると、湾奥での大潮平均高潮面が現在の約1mから1.5m以上と潮差が現在よりもかなり増大することがわかった。それに伴い浦賀水道付近のM2潮流の振幅も完新世中期には現在の倍以上であったことが示唆された。潮汐成分毎の寄与を見ると、潮差増加の大部分は半日周潮の増大に伴うものであった。固有値解析から算出した湾の固有周期並びに数値的に得た共鳴曲線の変化から、水位上昇に伴う潮差の減少、湾域拡大による潮汐の強化は、湾の共鳴周期が現在の6時間から5.5時間または9時間へ変化したことによる半日周潮の応答の変化で説明された。但し、共鳴極大値は周期に反比例するために単に共鳴周期が潮汐周期に近づくだけで潮汐が増大するとは限らない点も指摘している。日本沿岸の海水準変動は地質時代の大潮平均高潮面の記録と現在の潮位差から推定しており、潮位差の変動については十分検討されていない。このため本研究成果は古潮汐の力学機構の解明に加え、海水準曲線の精度向上に寄与すると考えられる。
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