1. 中国東北地方在住民間日本人建築家の活動に関する分析 研究対象とした建築家の活動について分析した以下のことが判明した。 (1) 経歴:大別すると2種類に分かれる。一つは、横井謙介や小野木孝治のように日本の支配機関(関東都督府、満鉄)に所属した後、民間の建築事務所を開設した建築家である。もう一つは、岡田時太郎や中村與資平のように直接、中国東北地方に民間建築事務所を開設した建築家である。前者は、所属機関で実績を積んでいるので民間建築事務所開設後も活動しやすいが、後者は活動基盤が不安定なのでそれを補う工夫として、岡田も中村も施工部門に参入した。また、三橋四郎のように長期間所員を派遣し、多数の建築物の設計監理を行なった建築家もいた。 (2) 作品:民間資本の蓄積が乏しい1920年代前半までは、民間建築家による建築作品は小規模なものが多い。1920年代後半から、満鉄が設計の社外委託制度を始め、民間商業資本の巨大化によって病院、百貨店などが民間建築家によって設計されるようになった。大規模商店街である大連連鎖街、満鉄の病院として3番目に規模の大きかった遼陽医院、などが代表である。そこでは、建築材料には煉瓦の多用など中国東北地方の特殊性を示しながら、平面などの計画には斬新さがあった。 2. 日本と東アジアの近代建築史おける位置付け 彼らの活動は日本による中国東北地方への侵略・支配を側面、特に経済、社会の面から支えたものであった。そして、支配の構図の中では、種々の工夫が可能であり、三橋四郎による一連の在外公館建築や大連連鎖街に代表されるような日本国内には見られない作品が生み出された。それらは、上海、天津、哈爾濱、香港といった東アジアにおける列強の拠点都市を念頭においた活動であったといえ、その点では欧米列強の民間建築家と同じであった。これに関しては、訪中して中国の研究者との意見交換を予定していたが、中国側研究者の来日したため訪中をとりやめた。また、研究成果の一部は1998年10月に中国・太原で開催された中国近代建築史国際研究討論会に論文を投稿した。
|