昨年度行った作業は、『群書類従』ほかの中世住宅史料の刊本と、これらに関する語彙索引を購入し、これらより、住宅内での座および動線に関する史料の所在を調査した。つぎに、奈良国立文化財研究所所蔵の古記録マイクロフィルムの調査を行った。これらのデーターは、学生に依頼してデータベースに入力した。データベースの作成作業は、10月から1月に及び、完成した史料DBは、300例に及ぶ。これらを使い、鎌倉前期の寝殿造住宅で以下の2点を明らかにした。まず、貴族住宅では、玄関の役割を果たしてた中門廊に、中門内沓脱・中門廊南妻戸・同北妻戸の3つの出入口が使い分けられ、このうち南妻戸が車寄戸と呼ばれ、この時代の中心的な出入口であったことと、鎌倉末期から北妻戸に中心が移ったことを明らかにした。これについては、今年度の建築学会の大会で発表した。つぎに、武士住宅については、『吾妻鏡』を中心に「明王院文書」などを検討したところ、これまで不明とされていた詳細な建築構成が明らかになるとともに、これまでの学説と異なり、鎌倉時代中期には接客空間が発達し、住宅のハレとケが、表または端と奥というべき構成に変化し、後の書院造住宅の原型が完成していたことが明らかになった。これについては、今秋に中央公論美術出版から刊行予定の関口欣也先生退官記念論集に「鎌倉武士住宅の空間構成 幕府御所を中心として」と題して掲載する予定であり、現在、投稿中ある。
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