本年度は、商工省の設置した「周波数統一準備調査委員会」の策定による周波数統一計画(1946年3月)に関して、全体像の把握と資料の収集を行った。 敗戦直後、軍需関連の電力需要が一気に低下した一方、水力発電所を中心とする発電設備はそれほど戦災の影響を受けずに残された。このため、戦時中の酷使と整備不良、徴兵による人員不足などに悩まされつつも、当時の電気事業においては、電力余剰が生じていた。逓信省・軍需省を経て電力行政を受け継いだ商工省は、余剰電力の消化のために電気製塩を推奨するほどの状態であった。 また、戦災による被害の大きかった都市部においては、復興工事の一環として周波数変更工事を行うことが可能であった。商工省は、戦前・戦時の国家管理を通じても解決しなかった周波数統一を、ここにおいて実現しようともくろみ、日本発送電・9配電会社の総裁・社長または副社長と、関連分野の専門家である官僚・事業者などからなる周波数統一準備調査委員会を設置したのである。 結果的にみれば、周波数統一準備調査委員会の提出した計画は、実現を見なかった。すでに1945年末から、民生用を中心に急激に電力需要が伸び始めたこと、また、資金・資材・人員の調達の見込みが立たなかったことがその主な理由である。しかし、この計画は、全国規模での電力周波数統一計画としては最後のものであり、国策における技術の位置を考える上で、きわめて重要な意味をもつと考えられる。
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