古代より刀剣は、日本人の精神世界においてある意味で重要な位置をしめてきたと言える。刀剣自体が武器である以上、技術との問題を抜きにしては語れないが、一方で技術とは一定の角度をもって遊離して存在する観念も確固として存在している。これは、至って宗教や信仰といった人々の精神世界の問題と強く結びつくものである。このような観念は決して技術の問題と完全に遊離しているものではなく、その延長線上で何らかの接点をもつものであると考えられる。 本年度研究においては、刀剣観にみられる日本的精神性の問題を通史的に概観することにつとめたが、その結果、大陸から伝播した刀剣文化の神道的世界観に基づく受容の仕方、あるいは仏教受容を契機とした刀剣観自体の内面への志向性などを考えると、修験道における刀剣観が一つの大きな転換期になっていることは確かなようである。 また、伽耶院大護摩(兵庫県三木市)、大池聖天大祭(兵庫県六甲山地)等の実地調査により、呪術儀礼におけるパフォーマンスが技術と精神世界の接点に位置するものであることが窺われた。
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