研究概要 |
1,馬庭念流樋口家(群馬県多野郡吉井町馬庭80番地)所蔵文書のうち「起請文」60点、「門弟帳」5点、「神社奉納額寄付姓名帳」8点、「書簡」50点の撮影および一部解読を行い、本研究の基礎資料とした。 2,上野国内各村における馬庭念流門人の所在と階層を『倉淵村史』(下平家)、『赤堀町史』(永代免許の本間仙五郎)、『粕川村史』(笠原道場)、『敷島村史』(狩野家)、『新里村史』(武田定次郎、竹内亀吉)、『箕郷町史』(渡辺吉左衛門、下田連蔵)、『富士見村誌』(大友林兵衛)、『六合村誌』(赤岩の湯本氏)などの「郡・市・町・村誌」及び『群馬県史』の「人物誌欄」にみた。これに従い碓氷郡倉淵村付近、榛名山、群馬郡箕郷町付近、佐波郡赤堀町付近で、門人調査を進めた。階層は上層農民が多く、その他、藩士や神社御師家などであった。 3,入門者数の経年変化は、1685(貞享2)年から1835(天保6)年まで150年間の入門人数を所在地別(郡、村)に集計の結果、1685年以降増加傾向を示し、特に1755(宝暦5)以降の入門者が増大した。しかし1796年(寛政6)以降、入門者数が減少した。また、入門者分布についてみると、150年間で馬庭村(335名)、小幡村(234名)、本動堂村(132名)、七日市藩(108名)、倉賀野宿(83名)などを上位として、多胡郡、甘楽郡、緑野郡、群馬郡内の村、藩に分布が確認された。さらに「一村少姓」の傾向が、村内で有力な一家の入門傾向を示唆する。 4,十六世樋口定雄(文政年間の宗家)の頃、江戸での念流道場が経営困難に陥った際、経済的有力者の加部氏(吾妻郡大戸宿)や湯本氏(吾妻郡赤岩村・樋口家と姻戚関係)は、馬庭念流をバックアップした。 5,馬庭念流の免許制度(本間家、四分一家、田部井家が門人を得て指導し独自の免許を発行した)が、宗家にとって収益源の一つである「取立制」であり得たのか、流派経営とどうか関わったか等は次年度の研究課題とする。
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