1997年度は、1.戦後緑化推進運動の全体像の解明と、2.大分県における緑化推進運動の具体的展開過程の解明という2点について、一定の成果を得ることができた。 1.「戦後緑化推進運動の全体像」について明らかになったことは以下の諸点にまとめられる。(1)全国植樹祭をめぐる言説において表象される「みどり」のイメージは1950年代における国土復興のシンボルとしての自然から、1960年代における近代林業のための有用な資源、1970年代におけるレクレェーションや保養のための非生産的な自然へと変容していった。(2)戦後の国土緑化運動は全国植樹祭に見られるように天皇制と結びつくことで国民的運動としての広がりを獲得するとともに、それによって天皇制自体も「みどりに親しむ人間天皇」という新たなアイデンティティを獲得することとなった。(3)全国植樹祭の開催は「荒廃林野」とみなされた雑木林や原野をスギ・ヒノキの「美林」へと転換してみせる儀礼的効果を持つものであった。 2.大分県における緑化推進運動の具体的展開過程」については以下の諸点が明らかになった。(1)1958年の全国植樹祭の開催は会場となった別府市志高湖周辺の観光開発を促し「みどり」豊かな美しい観光地という志高湖畔のイメージを人々の心に植え付けたとともに、別府市および大分市における様々な都市美化運動の契機ともなり、さまざまな場面において「美しい風景」を創出した。(2)全国植樹祭の開催に先立ち別府市・大分市では「不良狩り」や精神障害者の検挙、売春防止法の施行にともなう貸席街の取り締まりなどがおこなわれ、様々な場面で「排除の風景」が生み出された。(3)様々なメディアに流布された天皇・皇后を迎える風景は「美」と「規律」と「親密さ」のまなざしに貫かれており、それは「象徴」としての天皇と「主権者」たる民衆とを結びつける心象装置として作用した。
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