平成9年度の研究を承け、本年度は、司馬遷の『史記』を分杭しつつ研究を行った。 『史記』は「天下」「国家」の枠組みを用い初めて具体的な中国の歴史像を描いた著述である。そこでは、すでに歴史の始まりである五帝本紀のころから天子が天下を治めたことになっており、また天子のめいめいが国号を立てて、その国が順次交替して来たことになっている。要するに、「連続した一個性の天下を場として、多くの国が興亡する。その中の、天命を受けた、有力な国家の王(皇帝)が天子として天下を統治する」という歴史認識の枠組み(これは歴史事実そのものと考えられていた)が、『史記』の段階ではっきりと打ち立てられているということなのである。 この歴史認識の枠組みに従い、かつ継承して、その天下統治を担う有力国家ごとに歴史書が作られ、後にそれが「正史」と観念されてゆく。そして、その有力国家が、「王朝」と化するのである。 「経学的歴史観」は、この歴史認識の枠組みを基礎にして形成された。だから、経書の価値の源泉のーつである聖王の事跡とは、歴史の最初期の天子・王朝の治績に外ならない。ちなみに、価値のもう一つの源泉は、孔子である。 ここにおいて、唐虞三代は、経書的価値の源泉であるとともに、現実の政治機構(皇帝一百官)の理念を体現した祖型の地位を獲得する。そのため、現実の有力国家は、その理念を天下に完全実施することによってのみ、天下統治の正統性が保証されるのであるし、一方で、経書こそが具体的にその理念を提供するのである。
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