本研究の目的は、アジア一帯においてさまざまな文化的な価値形成に大きな役割を果たしてきた仏教を、人々が天災や人災を通して危機意識に直面したとき、それにいかに対応し克服する態度醸成に関わったか、という点から明かすことにある。今年度はそのケーススタディとして、仏教起源のインド初期仏教の資料、ことにニカーヤ、律蔵に存在する伝記資料の分析を行った。その結果、自然災害や人的迫害などに出会った者が、ブッダに出会い、苦の自覚から再生へと発展するパターンの底に見られる、苦と自己との関係という基本構造が、およそ明らかとなってきた。 ここで重要なのは、災害等に出会った者たちが、その当面に顕在化した苦痛にあらゆる意味を奪われて、けっして苦悩の淵源を洞察する態度にまで至れない点である。苦があくまで外的な偶然の原因によって不当にもたらされた結果として受け取られ、苦に至る以前の状態を恒常のものとして追い求めていこうとする。ブッダの問いはそこに投げかけられ、変わらぬ状態を固定しようとする中に、苦の本源があり、それは自己存在の一様態にほかならないことを自覚させようとしている。その意味で苦は退けられるべきものではなく、取り逃がさないようにかえって深められるべきであり、それを通してより深い自己の露呈と、深化された解放の可能性が示唆される。 苦と無常、無我の関係は、こうした実存的な関係として据えられるべきである。また、苦という概念は、恐怖から不安まで、実存が関わる身上を幅広く包括する、その意味で曖昧な概念であり、さらに下位レヴェルでの分析の必要がある。最後に付言すれば、こうした救済例はあくまで宗教的エリートが立ち至った世界であり、広く確認される大衆的な救済例は、別途確認されねばならないだろう。
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