今年度は近代における神道学および宗教学成立の意味を考察した。両者とも明治40年代以降に登場してきた言説であり、宗教という要素が以前にもまして国家にとっても個人にとっても大きな比重を占めるようになっていたことを示すものである。宗教学は国家の神道政策が事実上の国教主義であると批判し、信教の自由の十全な実現をもとめた。そして宗教教団にたいしては教団主義や偶像崇拝を批判し、個人の意識に基盤をおきながらも、それを国家に媒介する国民国家主義的な理想宗教を創出すべきであると唱えた。そこで構想された宗教は不当な国家権力からの自由をねがう宗教者や知識人だけでなく、政府陣営にとっても、より踏みこんだ国民の内的支配にかなうものであった。一方、神道学は保守的な国家主義の立場から、宗教・道徳や政治・学問等の領域に分轄された神道的言説を日本民族の精神という観念のもとに再統一し、民族精神が日本人の存在そのものである以上、宗教の自由などという観点から云々できるものではないとした。神道学・宗教学いずれとも、日露戦争後に台頭してきた国家主義や、国民道徳の形式主義に不満をもつ人々など、様々な方面からの精神世界にたいする関心のたかまりを背景とするものであり、人々がもはや啓蒙思想のとく明快な科学的合理性だけでは納得しえないことも同時に示すものであった。
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