1998年3月15日、朝鮮民族運動史研究会において「ハワイ時代の李承晩」について研究報告を行った。その内容は以下の通りである。 李承晩にとってハワイは長年にわたる海外生活の大半を過ごし、かつ植民地時代の独立運動の拠点にしたところである。そして解放後、彼は4・19学生革命によって大統領の地位から追われてはハワイに亡命して、人生の最後を締めくくった。 報告のねらいは、李承晩の人物像を究明する上で欠かせないハワイ時代の彼の軌跡を明らかにするところにある。李は1910年10月米国で留学生活を終えてほぼ6年ぶりに祖国に戻り、ソウルでYMCAの幹事として教育と伝道活動を行った。彼が再び米国へ出国したのは1912年3月で、日韓併合後の重苦しい雰囲気につつまれた国内情勢を背にしてのことであった。米国に着いては5月で、ミノセタ州のミニアポリスで開催された世界メソジスト教会大会に朝鮮代表として参加した。 大会の終了後、李承晩はアメリカ各地を放浪した後、翌年の2月朴容万の招きによってホノルルに到着し、以後その地に居を構えて、ハワイの同胞社会を中心に民族運動を行った。彼は米国政府に朝鮮独立を請願する、穏健・慎重な姿勢をとっており、独立運動の手段として武力を行使する行動を拒む姿勢を貫いたのである。
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