1.中東欧諸国における商品先物市場は、1990年代に入って相次いで開設されるとことなった。ブダペスト、モスクワ、ワルシャワがその代表的な例である。とりわけ、ブダペストはいちはやく商品取引所設立の準備をすすめ、他に先んじて先物取引を実際に取り入れており、多くの貴重な経験を残している。 2.それは、主として民営化に伴う農業部門の自由化によって、農産物価格の決定機構のなかに政治と経済のメカニズムが複雑に入り組むこととなったからであり、可能なかぎり市場の仕組みを取り入れるために商品取引所の設立が求められることとなったからである。 3.民営化によって、農地の自由な売買、取得が認められることとなったため、膨大な農地を保有する企業が出現し、農産物販売価格をヘッジする必要が出てきたこと、また民営化された食品加工企業によって原材料入手に際してその価格をヘッジする必要が生じたこと等大きな需要が認められることとなった。 4.同時にまた、経済の改革と自由化によって所得と資産の蓄積に成功したひとびとの投資機会の模索に対応する機会の提供でもあった。それは、数年先行して設立された証券取引所がほぼどの国・地域でも活況を呈していることから、投機・ヘッジの供給の側面からの必要が認められてもいる。 だが現状をみると、上記取引所設立に協力するところの大きかったシカゴ穀物取引所等の期待と必ずしも一致せず、主としてブダペストでみられるように、金融先物が大きく発達していっているのが実態である。当面は、そうした現状をどう解釈し、どう対処していくか、そして理論的フレームワークとの整合性はどうか、という問題が分析されるべきものと考えられる。
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