「物」の構成として建築の構成を見たとき、子どもの教育環境において「物」に関する構成行為が教育的な行為として捉えられている論点をとりあげれば、教育的行為にふさわしい環境の建築的な構成に関して基礎的な示唆をえることができる。F.フレーベルが考案した「Gabe」を用いた遊びは、この「物」の構成行為と教育的意味をひとつに捉えたものである。フレーベルにとっての教育的行為は、見えない根元的な神的生命のはたらきの場に、いかに生き生きと人間の生を参与させるかという点にある。その際、自然のはたらきの場と人間の生を媒介するはたらきを活性化する「物」として考案されたのが「Gabe」である。その要点は、神的生命のはたらきが、個別でありつつ多様な全体に統一的にかかわる「部分的全体」としてある子ども本来のあり方を、子ども自身がもつ二重感情の自己予感を通して呼び覚まし、それを「形成衝動」というはたらきへ豊かに結びつけ、生き生きしたはたらきを可能にする「物」であるという点にある。「Gabe」に即して言えば、媒介するものであるかぎり、自然とも人間ともその本質において関係をもっていなければならないし、しかも自然でも人間でもあってはならない、したがって、どちらの本質ももっていながら、どちらにも還元できないそれ自身独立したひとつの全体であるということ、言い換えれば、自ら「部分的全体」として、統一性と個別性と多様性という三重のいきたはたらきの関係に開かれているということがその本質である。そして、その「Gabe」遊びの場は、自分を護らなくてすむように護られた場であってこそ、子どもが神的生命のはたらきの場に十全に開かれうる。フレーベルにとって、護られた庭的空間と「Gabe」遊びは教育行為の本質である。これらの論点は建築的な構成にとって基礎的な示唆を与えてくれるものである。
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