本年度は、次年度以降の研究の基盤となる博士論文の作成に最も大きな比重を置いた。 そのために、5月にロシアおよびフィンランドの図書館において資料収集を行った。本年度の成果としてとりわけ強調できるのは、ナショナリズムの一種であるシオニズムと、本質主義的な言説との関係についての新たな側面に関する発見である。一般に、ロシア・東欧のナショナリズムは本質主義的な言明-ポーランド人とは~である、といった-と不可分にあると考えられてきたが、ロシア語を中心に言論活動を行ってきた本研究の対象人物たちは、むしろ、ユダヤ人を本質主義的に定義することを拒んだのである。シオニスト定期刊行物などにおける議論を分析した結果、以下の2点がその背景として浮かび上がってきた。第1に、ユダヤ人を取り巻く社会経済構造の変動に伴い、ユダヤ人の同化傾向が増すように思われ、それと同時にユダヤ人という集合性の維持には社会経済的なインセンティブが必要であることが意識されたことである。第2に、ディアスポラという歴史・社会的環境において、「ユダヤ人」概念が非ユダヤ人やユダヤ人自身によって、ステレオタイプ的に、あるいは護教論的に本質主義的に定義されたことに対する反発があった。ロシア・シオニストは、それはユダヤ人がマイノリティ環境下のみに置かれており、他者による定義から逃れられず、また、社会的に不利な立場に置かれるために、実際に非ユダヤ人のステレオタイプに合致する性質にユダヤ人がなってしまっていると考えた。この成果は、博士論文の一部と、Nationalities Papers(掲載予定)に発表した。
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