本研究の全体の目的は、穢観念のあり方を通して、日本中世の社会構造の特質を明らかにすることである。(1)天皇をめぐる認識のあり方、(2)差別意識のあり方、を確認した上で、(1)を核とする<われわれ>意識、それは現在のいわゆるナショナリズムの原型となる意識であると想定しているが、の形成過程を明らかにすることを最終的な目的とする。今年度は、3年間の研究期間の最終年に当たる。したがって、今年度の目標は、1、2年目に行った基礎的な史料探索、理論構築の成果を著書にまとめることであった。穢と天皇をめぐる認識との関わり((1))について言えば、天皇は神の清浄を穢から守る責任者である。その責任が果たされなかった時、神の怒りが災害として表出し、その災害は不徳の天皇に対する譴責の意味を持っていた。すなわち、穢は、天皇の為政者としての立場に関わる問題であったと言える。穢に怒り、天皇を譴責する神とは、形而上の抽象的な存在ではなく、列島各地に散在する神社に祀られた個別具体的な神々のことであった。したがって、神の清浄を守るという天皇の責任は、各々の神社の協力を得て果たされていたのである。各神社は、神域の清浄を守るために、様々な工夫をし、参詣者の選別を行った。その生業故に常に穢から離れることができない人々を締め出したのである。それは、本来不可視の穢を、神域に入れるか入れないかという形で可視化するものであった。特定の生業に従事する人々に<常に神域に入ることが許されない者>という負の価値を付与したのである。差別意識は、ここに生まれたと考えられる((2))。以上の論理を、著書として執筆した。
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