本研究は、太平洋戦争期における多様な主体の「非常体制」構想とその相互関係を実証的に検討することで、危機における明治憲法の解釈と運用のあり方を総合的に解明しようとするものである。本年度は、2つの視角、すなわち1植民地統治における戒厳令の位置、2沖縄戦の計画策定における戒厳施行の模索から研究を進めた。 1では、国史館台湾文献館(台湾)、防衛研究所図書館、国立国会図書館憲政資料室、国立公文書館などに赴き、史料調査を行った。これらの史料をとおして、(1)日米開戦にあたって台湾総督府が作成した「非常対策要綱」の概要、(2)「非常対策要綱」における戒厳令など「非常法制」の位置、(3)「非常法制」の一環としての国有財産事務問題の発生、(4)国有財産事務問題をめぐる総督官房・財務局・税務課の認識の差異、(5)「台湾戦場態勢整備要綱」の策定による国有財産事務問題の帰結を明らかにすることができた。この成果については、現在、「太平洋戦争の展開と植民地統治」として、学会報告を準備中である。 2では、沖縄県公文書館、沖縄県立図書館、防衛研究所図書館、国立公文書館などに赴き、史料調査を行った。これらの史料をとおして、(1)沖縄県と現地軍による沖縄戦準備の概要、(2)沖縄戦準備における沖縄県と現地軍の軋轢、(3)泉守紀沖縄県知事が展開した現地軍批判(県行政の軍政化に対する批判)の論理、(4)沖縄県への戒厳・軍政施行に関して軍中央と現地軍のあいだに存在した認識の差異、(5)島田叡の沖縄県知事就任による沖縄県と現地軍の協力態勢の構築を明らかにすることができた。この成果については、現在、「沖縄戦前後における戒厳施行の模索」として、学会報告を準備中である。
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