本年度は、ヌビア全域に造営された墓を基礎資料としてその形態的変化を検討し、クシュ王国における支配構造の考察を試みた。その前提として、既往研究において言及・適応されてきた「支配」は極めて漠然とした不適切な概念であるという認識に立つ筆者は、「権威と抵抗」という権力の関係性の中に発言するものとして支配を捉え、その関係性の長期的変動を考古学的に素描した。ここで明らかとなった具体的な研究成果は、1)いかなる形態として権威は物質資料中に発現するのか、2)いかなる形態として抵抗は物質資料中に発現するのか、3)支配は両者のいかなる関係性として再生産・崩壊するのか、という3つの問題系に沿って記述した。 その成果を簡潔に述べるならば、第一に、権力としての主体的行為に関して、1)権威としての権力は下降階段の造営行為を介して物質文化に発現し、2)抵抗としての権力は下降階段の簡略化行為を介して物質文化に発現する。第二に、支配構造の変動に関して、3)墓にクシュ王との関係性を残す墓が下ヌビアに造営され続けるメロエ初期においては、下降階段の型式学的簡略化として抵抗を伴いながらも支配構造は再生産され、4)代わりに、クシュ王との関係性を形態的祖形に有さぬ墓が高い割合で造営されるメロエ後期に至り、支配構造は崩壊する。そして以上を踏まえた結論として、異民族侵略という外在的・急激的要因を偏重してきた既往研究の見解とは異なり、むしろ、クシュ王国内部の支配構造崩壊という内在的・漸次的要因こそが、クシュ王国終焉を決定付ける起因であった可能性を指摘した。なお上記とは別に、クシュ王国の編年に関する英語論文を間もなく投稿予定。一時期に一括して論じられてきたメロエ期の3時期2段階(メロエ初期Meroitic I-II・後期III)を提示し、研究水準の革新を目指す。
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