22年度は二本の論文と一度の学会発表を行うとともに一般向けの著作にも記事を寄稿した。 まず「「鹿苑院殿佳例」と二条持基」においては、摂関家(二条家)の当主である二条持基が、足利将軍家と接する中で、いかに「win-win」の関係を形成していたかについて具体的に考察したものである。従来、摂関家をはじめとする貴族社会は室町時代において、武家に浸食される客体としてしか描かれてこなかったが、本稿では、二条持基が足利家の先例である「鹿苑院殿佳例」を巧みに利用しつつ、自らの摂関の座を盤石なものとしていった様子を復元した。今回は摂関家当主である二条持基を例にとったが、本稿で示した公家社会と足利将軍家の「win-win」関係は、より広く確認できるものと思われ、今後、それらの様相は次第に明らかにされていくものと考える。 また「室町殿行幸にみる足利義教の位置づけ」においては、永享年間に後花園天皇が行った室町殿行幸を素材として、その際における足利義教の行動について詳しく分析した。その結果、足利家と天皇家の「直結した上下関係」を導き出すことに成功した。この成果により、「足利家は武家社会において唯一天皇家と直結しうる存在であった」との仮説が可能となり、室町期における「武家の長」が鎌倉期のそれと、いかなる相違があるかという中世史上の重要課題に一石を投じ得たものと考える。 一般向けの「義満皇位簒奪計画-天皇が望んだ将軍による公武統一体制」、これまでの研究代表者が残してきた研究成果を総括するとともに、広く一般読者に学会の成果を伝達することになったと自負している。
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