本研究の目的は、19世紀の英国と国際社会において、いかなる経緯を経て、グリニッジ標準時という枠組が受容されたかを解明することにある。平成21年度には、まず19世紀中葉にグリニッジ天文台が置かれていた状況を分析し、同天文台が標準時に関わる事業を開始するまでの道程を実証的に解明した。その成果をまとめると次のようになる。19世紀の英国では、民間の天文観測施設が数多く設立され、アマチュア天文学が大きな潮流となっていた。そのなかで、例外的な国営のグリニッジ天文台は、天文観測業務の他にも、公共性の高い各種事業に取り組むことで、その存在意義を示す必要に迫られた。そこで、第七代グリニッジ天文台長ジョージ・エアリは、英国社会全般に貢献することを目標に掲げ、電信を用いて標準時の正確な時報を伝達する事業に着手した。次に、エアリが導入したグリニッジ天文台からの標準時報が、国内でどう評価されたかを調査した。特に本研究は、天文台長エアリが時報事業に付与した意義を明らかにする一方で、新聞・科学雑誌文芸評論誌の記事を分析し、グリニッジ標準時が伝統的な地方時にとってかわることに、反対する人々が繰り出す論理を明らかにした。最後に、主に科学者達が集った複数の国際会議の議事録の分析から、グリニッジ標準時が世界標準時として採択された経緯をまとめてみた。その作業を通して、当時の科学者達が、特定の本初子午線の選択を主張する際に用いていた科学的見地を把握した。
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