研究概要 |
本研究は、日常生活におけるウソやユーモアが聞き手の心的機構(認知・感情過程)にどのような影響を与えることで社会的に機能しているかについて明らかにすることを目的としている。過失により他者に不利益を与えてしまった状況(e.g.,遅刻)において、人は罰(e.g.,叱責)を避けるために弁解をすることがある。このような弁解の内容として日常的にウソやユーモアが使用されることがあり、これらは聞き手のさまざまな認知を媒介して感情調整を行うことで他者からの罰を避けている可能性が報告されている。本年度は弁解としてのウソが聞き手の認知(統制可能性・責任の程度)を媒介して感情調整(怒りの抑制)を行っている可能性に着目し、ウソに関わる立場(ウソの話し手・ウソの聞き手)とウソの露見(聞き手にウソが見破られない状況・聞き手にウソが見破られる状況)を考慮した実験を行った。その結果、ウソに関わる立場に関係なく、弁解としてのウソは聞き手の統制可能性と責任の程度の認知を媒介することで過失に対する怒りを抑制し、聞き手からの罰を避けていることが明らかになった。ただし、弁解としてのウソが聞き手の認知を媒介して感情を調整する機構は、ウソが露見しないことを前提としており、聞き手にウソが露見してしまった場合には統制可能性や責任の程度の認知は弁解の内容から影響を受けず、過失に対する怒りと話し手がウソをついたこと自体に対する怒りが促進され、聞き手から過失に対する罰とウソをついたことに対する罰を与えられることが明ちかになった。これらの結果から、ウソに関わる立場に関係なく、弁解としてのウソは聞き手の認知を媒介し感情調整を行うことで社会的に機能することが示された。しかし、一般的に嘘をつくことは非道徳的な行為と捉えられやすいため、弁解の内容がウソであることが聞き手に露見した時点で弁解が社会的に機能しなくなることが示唆された。
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